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2006.09.04 Mon
日本の歴史教育に欠けているもの パート1
今日は、おしょうの「ぼやき」です。

私事ではありますが、私が歴史(日本史)に興味を持ちはじめたのは、実は大人になってからです。具体的に言えば、25を過ぎたころからでしょうか。
子どものころは歴史という教科など大っキライで、ただテストで良い点を取るためだけに、年号などを単語帳に書いて丸暗記していたという記憶しかありません。

私が歴史好きになったのは、尊敬する作家のひとりである「北方謙三氏」の著書「破軍の星」を読んだことがキッカケです。その歴史小説は、南北朝時代初期に生きた「北畠顕家」という若き公卿を主人公に描いた作品でしたが、もとより歴史ギライだった私は、予備知識がないために、読んでもまったく面白くありません。そこで一念発起して、図書館で「南北朝時代」の文献を読み漁るようになりました。だってそのころは、尊敬する作家の作品を理解しようと必死だったですから(笑)。

歴史というものは、学べば学ぶほど奥が深く、面白いものです。
なぜ、こんなに面白いものが、子どものころは大っキライだったのでしょう?
気づいてみれば、その答は簡単でした。学校で教える歴史は、ただ単なる「タイトルの羅列」で、まったくと言ってよいほど、内容のないものだからです。

歴史を学ぶということは、先人たちが残した「成功例」と「失敗例」を知ることに他なりません。つまり、「生きる知恵」を授かるためのものです。

では、今の子どもたちが、学校でどのような歴史を学んでいるのか、具体的に紐解いてみましょう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

資料1.「中学社会 歴史 未来をみつめて」(教育出版株式会社刊)

(以下引用)
表題【南北朝の内乱】
幕府がおとろえると、後醍醐天皇は、政治の実権を朝廷に取りもどそうとしたが、幕府は京都に大軍を送ってこの動きをおさえようとした。
有力な御家人の足利尊氏は、幕府に見切りをつけて、京都の六波羅探題を攻め、新田義貞も鎌倉を攻めたため、1333年、鎌倉幕府はほろんだ。
後醍醐天皇は、年号を建武と改め、天皇中心の政治を始めた。しかし、公家だけを重んじ、これまでのやり方を変えてしまうような政治は、しだいに人々の不満を生んだ。特に、戦いのほうびをあまりもらえず、不公平感をもっていた武士たちの反発が強かった。
足利尊氏が兵を起こし京都に別の天皇をたてると、後醍醐天皇は吉野にのがれ、その政治も2年あまりで終わった。
その後60年近くの間、全国の武士たちは、京都の北朝と吉野の南朝の有利な方について、領地を奪い合って戦った。これを南北朝の内乱という。
(以上、原文ママ)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

何じゃこりゃ! たったこれだけで、南北朝時代を説明したつもりなのでしょうか。
こんな無味乾燥で内容のまったくない教科書で学んで、中学生たちが「歴史好き」になるとは到底思えません。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

資料2.「市販本 新しい歴史教科書」(株式会社扶桑社刊)

(以下引用)
表題【鎌倉幕府の滅亡】
鎌倉幕府の支配がゆらぎ始めると、北条氏はいっそう権力を集中しようとして、かえって御家人の反発を強めた。
14世紀のはじめに即位した後醍醐天皇は、天皇親政(天皇みずからが政治を行うこと)による意欲的な政治を行うため、討幕の計画を進めた。初め計画がもれて二度も失敗し、後醍醐天皇は隠岐(島根県)に移されるようなこともあった。しかし、後醍醐天皇の皇子の護良親王や河内(大阪府)の豪族だった楠木正成らは、近畿地方の新興武士などを集結して、絶大な幕府の勢力とねばり強く戦った。
やがて後醍醐天皇が隠岐から脱出すると、それまで討幕勢力が不利だった形勢は一変する。幕府軍から御家人の脱落が続き、足利尊氏が幕府にそむいて、京都の六波羅探題をほろぼした。ついで新田義貞も朝廷方につき、大軍を率いて1333(元弘3)年、ついに鎌倉幕府は滅亡した。

表題【建武の新政】
後醍醐天皇は京都に戻ると、公家と武家を統一した天皇親政を目標として、院政や摂関、幕府をおさえ、新しい政治を始めた。幕府滅亡の翌年、年号を建武と改めたので、これを建武の新政という。武家政権がほろび、公家政権が復活したという見方からは、建武の中興とよぶ。
しかし、建武の新政は公家を重んじた急激な改革で、武家の実力をいかす仕組みがなかった。また、討幕をめぐる戦乱でうばわれた領地をもとの持ち主に返し、今後の土地所有権の変更はすべて後醍醐天皇自身の判断によらなければならないとしたが、はるかむかしに失った領地まで取り返そうとする動きが出て混乱を招き、その方針を後退せざるをえなかった。そのため、早くも政治への不満を多く生み出すことになった。
そのようなときに、足利尊氏が幕府を再興しようと兵を挙げたので、建武の新政はわずか2年余りで崩れてしまった。

表題【南北朝の動乱】
1336(建武3)年、足利尊氏は京都に新しい天皇を立て、建武式目を定めた。これは、幕府を京都に開くなど、武家政治再興の方針を明らかにしたものだった。一方、後醍醐天皇は吉野(奈良県)にのがれ、ここに二つの朝廷が並び立つ状態が生まれた。
吉野方を南朝、京都方を北朝といい、この両朝はそれぞれ各地の武士によびかけて、約60年間も全国にわたる争いを続けた。この時代を南北朝時代という。
(以上、原文ママ)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

多少は「資料.1」よりも詳しく書かれておりますが、やはり、肝心な説明がなされていません。しかも、この「新しい歴史教科書」には明らかな誤記があります。それは、【建武の新政】の二行目の、「幕府をおさえ」という記述です。このころは、すでに鎌倉幕府が壊滅していたわけですから、のちに室町幕府が創建されるまで、「幕府不在」の時代です。存在しない幕府を、後醍醐天皇がおさえたという事実はありえません。

以前、このブログで私は「新しい歴史教科書」にも不備が目立つと指摘しましたが、具体的に言うと、こういう点です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

南北朝時代とは、ひと言でいえば朝廷が南朝と北朝に分裂し、全国の武士や民を巻き込んで戦乱に明け暮れた時代です。
私が「ぼやく」理由は、なぜ朝廷が南朝と北朝に分裂したのか、その肝心な説明が、どちらの教科書にも欠落しているからです。

そもそも、南北朝時代が歴史に現れた背景には、大きな要素が3つあります。

まず第一は、鎌倉時代の主上のひとりであった後嵯峨帝が、はじめに位を譲った後深草帝のことをなぜか(諸説あります)「毛嫌い」し、偏愛していた亀山帝に無理やり譲位させたのが事の起こりです。このとき、朝廷は真っ二つに割れました。
後深草につく勢力と亀山につく勢力が双方いがみ合い、朝廷内部に抗争の火種ができたのです。

次に、この問題に、鎌倉幕府が首を突っ込んだことが挙げられます。幕府は、後深草と亀山の子孫が交代で帝位を継ぐという妥協案でどうか、と提案しました。それに双方が納得したため、以後はその妥協案通り帝位の交代が行われることになったのです。それを、両統迭立(りょうとうていりつ)といいます。
しばらくはそれでうまくいきました。後深草帝の子孫(持妙院統)と亀山帝の子孫(大覚寺統)が10年ごとに帝位を交代するという方法で、特に問題は起きなかったのです。
ところが、のちに大覚寺統から即位した後醍醐帝は、両統迭立の約束を守りませんでした。幕府ごときが帝位の交代に口を出すのはけしからん、と突っぱねたのです。そして時代の流れは、討幕へと傾いていったのです。

最後に、先に紹介したふたつの教科書とも、源氏の嫡流である足利尊氏が後醍醐帝と対立し、武力をもって幕府再興を目指したとき、「京都に新しい天皇を立て」と簡単に記述して済ませていますが、ここはかなり重要なポイントです。
足利尊氏が錦の御旗として担いだのは、持明院統の帝です。
京都の持明院統を北朝とし、吉野の大覚寺統を南朝とする日本史上はじめての、ふたつの朝廷が存立するという異常事態が発生したわけですから、曖昧な表記で「はしょって」はいけません。キチンと、そのときの北朝の主上は、「光明帝」だと表記しなければ片手落ちになるでしょう。なぜなら結果論として、現在に続く皇統は北朝の流れだからです。
足利尊氏は、北朝から任命されて征夷大将軍の座につき、幕府を再興しました。
でもなぜ南朝は、すぐに滅びなかったのでしょう。足利尊氏から都を追い出された南朝がすぐに滅びていれば、そもそも南北朝の動乱(内乱)など、起きることはなかったはずです。
それには大きな理由があります。
南朝は、三種の神器を持っていたのです。三種の神器とは、「八咫鏡(やたのかがみ)」という鏡と、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」という勾玉と、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」という剣のことで、皇位継承の証として古来より主上が受け継いできた宝のことです。
南朝の後醍醐帝は、北朝の光明帝に三種の神器を譲り渡してはいませんでした。
つまり、戦に敗れはしたものの、皇室の正当性においては南朝に分があったのです。
のちにこの三種の神器は、足利幕府三代将軍の妖怪「義満」が、南朝から騙し取って北朝に授けるまで南朝が持ち続けました。

私なりに、簡単な要約で済ませましたが、南北朝時代とは、この3つの要素を抜きには語れません。後嵯峨帝が自分の息子のひとりを偏愛したワガママと、後醍醐帝が両統迭立の約束を守らなかったワガママが、のちに約60年にも及ぶ戦乱の原因を作りました。

上に立つ人間は、理の通らないワガママで物事を決めてはいけません。それが、私が南北朝時代を学んで得た教訓です。
中学生たちにもこのように教えれば、歴史を学ぶ意義がわかると思うのですが…。

以上、おそまつさまでした。


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歴史教育考    Comment(14)   TrackBack(1)   Top↑

Comment
Posted by かっぱやろう
そういえば・・・
南北朝のことって、詳細に習わなかった気がしまスねえ。
全部詳細に書いてたら一冊じゃ収まらなくなりますけん、
難しいとは思うんでスが、
おしょうさんがおっさるように、少なくとも要点は押えて欲しいでスね。
教育つながりとゆーことで、TBさせてくだサイ。
<(_ _)>
2006.09.04 Mon 08:36 URL [ Edit ]
いらっしゃいませ Posted by おしょう
かっぱさん、いつもありがとうございます(合掌)。

さて、
>南北朝のことって、詳細に習わなかった気がしまスねえ。

むかし(戦前・戦中)は、どの時代よりも詳しく教えていたようです。楠木正成という大忠臣が登場する時代ですから…。
天皇崇拝を連想させるものは、たとえ真実であっても隠そうとする…。いかんですなぁ、まったく呆れます。

>教育つながりとゆーことで、TBさせてくだサイ。

実は…、ワタスはまだTBの意味が理解できていないんです(赤面)。
ですが、こんなサイトでもお役に立つのなら、どんどんご利用ください(笑)。
2006.09.04 Mon 12:15 URL [ Edit ]
歴史は難しいです。 Posted by 黒羊
物語としての歴史と、史実としての歴史。
学校では、史実としての歴史を中心に学びます。受験向けなんですよね。
教師のさじ加減一つで、歴史に興味がもてるかどうか変わってしまいます。
人が惹かれるのは物語の方ですね。私は個人的に、学校では、史実としての歴史に、物語を織り交ぜつつ、扉に興味を持たせてもらえれば十分で、後は、家の仕事かな?と思いますね。
歴史から得られる教訓は親から子へ、子から孫へと連綿と伝え継がれることを望みます。
2006.09.04 Mon 12:30 URL [ Edit ]
いらっしゃいませ Posted by おしょう
黒羊さん、コメントありがとうございます(礼)。

黒羊さんのご意見には、思わず考えさせられます。娘の教科書を開くと、確かに「平家物語」や「太平記」などは、まったく記載がありません。それは「史実」ではなく「物語」だから…、という解釈なのでしょうね。
貴重なご意見、感謝いたします(またまた礼)。
2006.09.04 Mon 13:00 URL [ Edit ]
Posted by milesta
私も物語の方が好き。ただの羅列には興味が持てず、先に物語を知っていたら、もっと関心が持てたのになぁと思います。それで子供達には、面白そうな歴史トピックを聞かせたり、本を読んでやるというのを試みています。
最初は史実かどうかより興味を持たせ、学校や本を読んだりして史実を学べば良いかな?と考えています。
例えば建国記念日に神武天皇の話をしたり、うちには童謡のCDがあり「牛若丸」の歌が入っているので弁慶と牛若丸の話をしたり。
興味を持ったら、自ら学ぼうと思うだろうし、授業を聞いていても何も知らないよりおもしろいと思うんですよね。
関連の本を紹介した記事、TBさせてくださいね。
2006.09.04 Mon 23:44 URL [ Edit ]
物語としての歴史 Posted by 黒羊
私の場合は、中国のことになりますが、小学校の一年生で人形劇の三国志に感銘を受け、父親が横山光輝の三国志を買ってきたことに始まります。
中学一年生で、羅貫仲の三国志演義の訳本を読みました。吉川英二もその時に。そのとき知ったのは演技は物語であって別に正史があり、それが魏志、蜀志、呉志つまり三国志であると知りました。そこから物語として、史実としての歴史双方に惹かれ、日本史の本も中国史の本も読み漁るようになり、今に至ります。
ちなみに物語としての歴史を学校で教えるのに古典の授業があるんですが、これも受験向けの教育しかしないもので残念なことに敬遠されますね。でも古典の微妙な表現なんて現代の日本語のためにもすごく勉強になると思います。家庭では、学校で教えないであろう物語としての歴史を子供に勧めるのはいいことだと思います。
2006.09.05 Tue 00:02 URL [ Edit ]
コメントありがとうございます Posted by おしょう
milestaさん、いらっしゃいませ。

>先に物語を知っていたら、もっと関心が持てたのになぁと思います

同感です。ものには順序があります。子どもに興味を持たせるために、仰るように「義経記」などは最適だと思うのですが…。

>建国記念日に神武天皇の話をしたり

お言葉を借りるようで恐縮ですが、今の子どもたちは、ほとんど「建国記念日」の意味も知らないと思います。簡単なんですよ、初代の神武帝が即位した日(旧暦ですが)だって教えればいいことですから…。それすらできない日本の歴史教育に、私は疑問を感じてしまいます。

また、遊びにきてください。TBの件、了解です。まだよくわかっていません(赤面)が、ご自由にこのサイトをご利用ください。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

黒羊さん、またまたコメントありがとうございます。

私も「三国志」は夢中になって読みました(笑)。大人になってからですが…(苦笑)。

>古典の微妙な表現なんて現代の日本語のためにもすごく勉強になると思います

もろ手を挙げて賛成です。
私は社会に出て、日本人のくせに日本語を知らないことで、たいへん、苦労しました。

>家庭では、学校で教えないであろう物語としての歴史を子供に勧めるのはいいことだと思います。

肝に銘じて、取り組みたいと思います(感謝の礼)。

2006.09.05 Tue 00:47 URL [ Edit ]
遅いコメントですみません(汗) Posted by 八咫烏
昔から某神社の銀杏を見に行くのが夢でした。
そしてある秋にその銀杏を見に行った時、連れに
「この銀杏は『隠れ銀杏』といってな…」と
800年ほど前の史実を語ったものです。

過去の偉人達も立っていた場所に今自分がいる!
これこそが歴史のロマンだと思うのですがねぇ。
2006.09.05 Tue 05:12 URL [ Edit ]
『名画で見る國史の歩み』 Posted by milesta
すみません。TBを二回ほど試みたのですが、なぜかダメみたいですので、ここに↓アドレス置いておきます。
『名画にみる國史の歩み』という本の記事です。
http://milesta.blog72.fc2.com/blog-entry-21.html

ちなみにTBとは・・・
(私もブログ初心者なので、本当はもっと詳しい方からの説明があればよいのですが)

①おしょうさんのこの記事に、自分の『名画で見る・・・』の記事を貼り付けたいと思う。
②下↓のトラックバックURLをコピーする。
③自分の当該記事に戻り、編集画面のトラックバック機能というところの窓に、そのURLを貼り付ける。
④編集画面を保存する。
⑤おしょうさんのこの記事に戻ると、下の↓かっぱやろうさんの記事の次に、『名画で見る・・・』が貼り付けられている。

というはずです。・・・がなぜか失敗しました。
今もう一回やってみます。
2006.09.05 Tue 08:42 URL [ Edit ]
いらっしゃいませ Posted by おしょう
八咫烏さん、コメントありがとうございます。

さてさて、
神社…、隠れ銀杏…とくれば…、
鶴岡八幡のことですな(笑)。

>過去の偉人達も立っていた場所に今自分がいる!
これこそが歴史のロマンだと思うのですがねぇ。

そうですね。ロマンです。
歴史には、たくさんのロマンが隠されています(笑)。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

milestaさん、TBの説明、ありがとうございます(礼)。

ちなみに、私がmilestaさんの記事に、逆TBさせていただきました。
あまり…、意味なかったですか?(冷汗)
2006.09.05 Tue 10:41 URL [ Edit ]
Posted by milesta
TBありがとうございます。嬉しいです。
なんで私の方はできないんだろう???
2006.09.05 Tue 13:14 URL [ Edit ]
Posted by おしょう
milestaさん、私も多少はお役に立てたようで…(ほっ)。

また、遊びに来てください(笑)。
2006.09.05 Tue 15:09 URL [ Edit ]
Posted by らーくめんそーる
はじめてコメントさせていただきます。

私は高校生の時、予備校と学校両方で歴史について面白く教えてくれる教師に当たったおかげで歴史を面白いものだと思って勉強していました。暗記は苦手なもので年号などは覚えられませんでしたが(苦笑)
南北朝の話にしても受験に必要な知識の覚え方として流れを覚えていれば順番を間違えないからという理由で面白おかしく物語風に教えられましたよ。

今でも覚えているのは道鏡の話とか…完全に下ネタなのでここで話せませんけれども(笑)

なので、完全に物語と史実を分けて考える必要も無いのではないでしょうか?私は歴史はそのままでそこらの小説より面白いものだと思っています。要は教え方が事実を詰め込むだけだから面白くなくなるのであって、なぜそうなったかの理由を同時に教えるだけで歴史が面白いものになると思います。

私のようなまだまだ知識も無いような人間が偉そうに言えることではありませんが…(笑)

2006.09.10 Sun 00:36 URL [ Edit ]
はじめまして Posted by おしょう
らーくめんそーるさん、いらっしゃいませ(礼)。

さて、
>私は高校生の時、予備校と学校両方で歴史について面白く教えてくれる教師に当たったおかげで歴史を面白いものだと思って勉強していました。

実に羨ましい限りです。

>今でも覚えているのは道鏡の話とか…完全に下ネタなのでここで話せませんけれども(笑)

うううっ、道鏡さんですか。チ★ポがデカイという噂の、あの坊さんのことですな(笑)。

>私は歴史はそのままでそこらの小説より面白いものだと思っています。

まったく同感です!

また、遊びにきてください。

2006.09.10 Sun 00:57 URL [ Edit ]

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ずいぶんアレでス。忙しくてコメントを返せてません。明日ニャ返します。(*´∀`)アハハン♪忙しいのどスが。チラッと更新しときまス。( ;゚皿゚)ノシΣバンバン!!いひひひ。今
ふまじめざんス 2006.09.04 Mon 08:37

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