残念ですが、わが国には「サヨク」や「反日日本人」と呼ばれるゴキブリが生息します。そいつらを、徹底的にスリッパで叩き潰します!
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2007.08.19 Sun
パチンコ屋なんていらない
本日の反日度指数:★★★★☆☆☆

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

今回は、パチンコ屋について語ってみたいと思います。

私は、賭博は一切やりません。宝くじすら買いません。
でも、元々そうだったわけではありません。
高校生のころは、学校をサボってパチンコ屋に通っていた時期もありましたし、20歳前後のころは、競馬や競輪が大好きで、一端のギャンブラーでした(笑)。
もちろん、トータルすれば大きく負け越していることは、いうまでもありませんが…(苦笑)。

賭博を一切やらなくなったキッカケは、一冊の本との出合いでした。
それは、「幸福への挑戦」という本で、著者名は忘れてしまいましたが、アメリカ人が書いた、いわゆる心理学的な内容のものです。
余談ですが、今では、どこを探しても手に入りません。どなたか、入手先をご存知の方は、教えてください。

話を戻しますが、その本には、このようなことが書いてありました。

「人間には、誰にも『何かに賭ける』という本能がある。したがって、自分の人生に賭けることができない人間が、ギャンブルに走るのである」

その一文を読んだとき、目からウロコが落ちました。そして、自分自身のことを振り返り、「なるほど」と納得したのでした。
それから、一切ギャンブルはやらなくなりました。いや、正確にはそうではありませんね。
「自分の人生に賭ける。自分自身に賭ける」
以後は、この↑スタイルを貫いています。無論、「何かに賭ける」という本能は満たされておりますので、「ギャンブルをしたい」などとは、一切、思わないことはいうまでもありません。

何年か前、ちょうどこの時期ですが、夫婦でパチンコに昂じて駐車場で車内に幼児を残し、熱射病で死なせる、という信じられない事件が何件か続きました。
親であれば、「わが子に賭ける」という考えを持っていて当然です。
それができない愚かな人間が、パチンコでその欲求を満たし、わが子を死なせた(殺したといっても過言ではないでしょう)のです。

たとえば、男であれば「仕事に賭ける」、女であれば「わが子に賭ける。或いは、夫(愛する人)に賭ける」。~まぁ、それ以前に、人間、生まれてきたからには「夢」を持ち、そして、その「夢」に賭けようではないですか。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

さて、本題のパチンコの件です。
私の周りにも、パチンコ好きの人は沢山います。
「どこが面白いの?」
などと、野暮なことは訊きません。理由は、前述した通りです。
パチンコ好きの方には、耳が痛い話かもしれません。でも、願わくば最後までお付き合いください。

パチンコはギャンブルではありません!

えっ? と思った方はおりますか?
パチンコ好きの人に訊くと、「勝った」「負けた」という話を100%します。
当たり前?
違いますよ(笑)。
前述の通り、パチンコはギャンブルではないのです。
では、何か?
答えは簡単です。

商売です!

世にあるパチンコ屋は、「賭場を開帳している」のではなく、「商売している」のですぞ。
冷静に考えれば、中学生にもわかる理屈です。

つまり、パチンコ屋は、お客と勝負しているわけではないのです。

「勝った」「負けた」という表現が、どれほどオカシイか…。

では、「商売」という視点で言わせていただきますと、パチンコ屋は、何ひとつ世の中の役に立っていません!
更に、パチンコ屋の儲けが、反日国家の資金源になっていることは、もはや、周知の事実です。そういう意味で、今回は★を4つにしました。

パチンコは、日本の恥です!


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2007.01.19 Fri
救う会より
本日の反日度指数:★★★★★☆☆

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「救う会」事務局からメッセージが届きましたので紹介します。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

救う会全国協議会ニュース(2007.01.19)

以下は、昨日、1月18日に、増元照明・家族会事務局長が、山崎拓氏との面会につき、蓮池透さんから電話で聞取った内容を家族会に伝えたものです。同文は、増元照明さんのホームページにも掲載されています。

◆山拓氏に利用されたという感が否めない-蓮池透氏
「蓮池透氏の山拓氏との面談」

以下は、本日14:29に蓮池氏と連絡が取れ、事情を聞いた。その内容に関して、家族会のメンバーに発信した内容である。

家族会各位様  

先ず、このような騒ぎになったことを謝罪されました。ただし、報道には意図的に捏造されたものがあるように感じるということです。

透氏は、2004年の大連の会談の真意を聞きたいということで、以前から「山拓氏」に面会を申し入れていたそうですが、それが昨日になって平沢氏を経由して、面会の運びとなったようです。しかし、あくまで「蓮池透氏」個人としての面会を強調されたようですが、面会場所に行ってみるとそこに既にカメラが入っていたということでした。

会談時に、透氏は「山崎さんの訪朝を全面否定するものではないが、政府方針とは違うのではないか。出来れば政府と一体化して『拉致被害者の救出』に努力して欲しい」といわれたようです。そこで、今回の訪朝に関して、売名行為ではないのか?ご自分の政治的な影響力の復権のために「拉致被害者を利用しているのではないか?」等々、詰問したようですが、山拓氏は訪朝に関し、持論を展開し、正当性を主張したようである。

そこで、「そこまで考えているのなら、安倍総理と話し合って、日本として一体になってはどうか?」と問いかけたが、「直ぐには、できない(なぜ、出来ないのかは言明無し)」との回答だったと言うことです。

透氏としては、今回の訪朝に関して「家族会」が反対していることは理解しているし、何等異論はない。ただ、「全面否定しない」と言ったことが「評価」という言葉に変えられ、非情に腹立たしい!「家族会」が今回の山拓氏の訪朝に関して、反対の立場をとっているのは充分理解している。とにかく「二元外交」と言われるような行為は謹んで欲しいと言うことを山崎氏に言ったということです。

さらに、安倍政権の政策に対して批判したことはなく、報道のあり方に疑問を呈していました。今朝方、井上首相秘書官に電話し、真意をお話し、安倍さんの批判をしているのではない。今後も、安倍さんに期待している旨、告げられたようです。

最後に、日本国内で分断しているような報道をすることは、北朝鮮を利するという思いであるということでした。最終的に、「山拓氏に利用されたという感が否めない」との感触であり、皆さんにご迷惑をおかけしたことを謝罪されました。

今回の報道には、意図的に安倍政権の批判を展開し、日本サイドの分断を狙った報道としか思えず、担当者の「拉致問題への理解度の低さ」となにか、北朝鮮の工作をも感じさせる「胡散臭さ」もあるようです。

実は、私も以前から「山拓氏」に面会し、北朝鮮国内で「どのような会話がなされたかを聞こうか」という思いもありました。当然、家族会・救う会の役員と話をしてから申し入れをしようと考えていました。


今、国内が分断されるようなことがあってはならない。そのような報道になること事態が、山拓氏の訪朝の結果と言うことであれば、北朝鮮の意図としては成功であったかに見えるが、我々は北朝鮮との神経戦に負けぬよう、結束を固めたいと思う。

(以上、原文ママ)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

山崎拓という老いぼれが巻き起こした騒動を、さらに歪めるマスコミ…。
まったく、呆れてものが言えません。


テーマ:北朝鮮拉致問題 - ジャンル:政治・経済
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2006.11.10 Fri
理屈は、しょせん理屈でしょう?
本日の反日度指数:★★★★★☆☆

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

嫌がらせをしているつもりは毛頭ありません。

(クリック↓ください)
http://tukui.blog55.fc2.com/blog-entry-108.html

結論を言いますと、私は弁護士という輩に、「マトモな人間は少ない」ということを、経験上、よ~く知っているつもりです。無論、そんなことは自慢にはなりませんが…。
上記のブログにコメントを投稿したとき、当初は、「固まったのか?」と思いましたが、どうやらそうではなく、ただ単に、無視しているようです。

面白いではないですか(笑)。

>いじめは差別が出発点?
>部落差別?
>在日外国人に対する仕打ち?

この人に言わせると、本当に日本、いや日本人は非道い人種ですなぁ。
いじめは、劣等民族ゆえに避けられない問題なんですかな?

津久井さん、仮にも弁護士という職業を明らかにして、こういうブログを公開しているなら、訪問者の意見に対する自己の見解は、キチンと示してくださいよ。

こっちは素人ですぞ。素人相手に、教え諭すこともできないのですか?
それとも、やはり相談料が必要なんですか?
まさか、営利目的のために、ブログを開設してしるのですか?
「心外だ!」と仰るのなら、私が投稿したコメントを晒すだけでなく、「提案者」としての「ご意見」をお聞かせください。

弁護士とて、しょせん人の子…。追い込むネタは、いくらでもあるのですぞ(笑)。
私は弁護士など、ひとつも怖くはありません(ニヤリ)。


テーマ:いじめ - ジャンル:ニュース
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2006.10.28 Sat
おかしな新聞 その8
本日の反日度指数:★★★★★☆☆

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

(10月27日付け、東京新聞より)

法的拘束力は解釈次第

全国各地の公立高校で、世界史や倫理の授業がされず、生徒の卒業が危ぶまれている「必修漏れ問題」。教育基本法改正の論議にも影響を与えそうだ。ところで、必修と定められている根拠は「学習指導要領」なのだが、その位置付けはいまひとつ不鮮明だ。どれほどの法的拘束力があるのか。

学習指導要領とは、文部科学省が定めた小、中、高校、養護学校などの各教科で教えられる内容を示した基準。しばしば改定され、私立校にも適用されるが、私立では影響力が薄い。

ただ、学習指導要領の歴史をひもとくと、その位置づけの変化が分かる。1953年までは「学習指導要領(試案)」と「試案」の二文字が付き、あくまで手引きにすぎず、実際には多くの部分について各学校の自由裁量が認められていた。

これは、教育基本法が教育の国家からの独立(第十条、教育行政)をうたったように、戦前の反省から国家による思想、教育統制を避けようとしたためだ。

※「試案」消えても「法令」にあらず

しかし、現場では自由裁量の行き過ぎか、教育内容のばらつきが目立ち、国はこれに「待った」をかける。1958年には小中学校、1960年からは高校の指導要領が官報に公示され、試案の文字も消え、指導要領は半ば法的な存在になった。

しかし、法令ではない。法的拘束力があるのか、というとやはり「微妙」だ。

指導要領は学校教育法施行規則にある「教育課程の基準として別に大臣が公示する」の規定が根拠。つまり、法的な支えはあるが、内容はあくまで基準。現場の自由度をどこまで認めるのかは別の議論になる。

このあいまいさが、数多くの教育関連訴訟を生み出した。指導要領の拘束力をめぐる関係者の間で有名な最高裁判決が二つある。

一つは教員が全国一斉学力調査を阻止しようとした「(北海道)旭川学力テスト事件」(1976年)。もうひとつは教育委員会が指定する教科書を使わなかった教員の懲戒免職処分をめぐる「伝習館高校事件」(1990年)。双方とも判決は確定したものの、判決文の解釈は定まっていない。

文部省は「判決では指導要領の法的拘束力が認められた」とし、教職員組合などは「教育内容への国家的介入はできるだけ抑制的にせよと書かれている」という部分を強調する。これが「日の丸」「君が代」の指導を教員に強制できるかという問題にもつながる。

日本教育学会元会長で、東京大学の堀尾輝久名誉教授(教育学法)は「都合のいいところだけを引用するから話がおかしくなる。指導要領の精神は先生や生徒の意見も入れて柔軟に運用することだったはずだ」と苦笑する。

堀尾氏は指導要領には君が代斉唱を強制する拘束力はないとみる立場だが、必修科目や単位数など教科の全国的な枠組みについては議論を重ねたうえ「大綱的基準としてきちんと定めることが必要」と考える。

※「大学入試に枠はめるべきだ」

教育ジャーナリストの矢倉久泰氏は今回の問題について「(指導要領の)法的拘束力を論じるなら、むしろ大学入試の在り方に枠をはめるべきだ」と提言する。

「高校での教育内容を大きくはみ出した問題ばかりを出すから、今回のような必修漏れが起きた。高校までの段階で必要なのは自立した市民を育てること。そのために必要な知識と技能は何かを専門家や現場の教師を交え決めるべきだ」

結局「法的拘束力」の有無はあいまいで、国と教員組合などの力関係が反映されているのが現状だ。ちなみに旭川学力テスト事件の判決文にはこう記されている。

「子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりまず子供の学習する権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属する」

(引用終わり)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

相変わらず「おかしな記事」を、堂々と掲載しておりますなぁ、東京新聞さん。
恥ずかしくないのですか?

まずもって、記事に使用する言葉くらい、統一してくださいよ。
揚げ足を取るつもりはありませんが、これでも、プロの記者が書いた原稿ですか?
読んでいて、イライラしますわ。

例えば、
「一つ」か「ひとつ」なのか、ちゃんと統一してくださいよ。
それと、
「教職員組合」を「教員組合」と言い換えたりしておりますが、単なる脱字ですか?
「日教組や全教」と正直に書けば、こんなバカげた間違いは起こらないでしょう。
都合の悪いことは、曖昧にしようとするから、こうなるんです。

さ・て・と、料理させていただきますわ。

>双方とも判決は確定したものの

引き合いに出すなら、ちゃんと確定した判決も記載してくださいよ。
都合が悪いことは書けないんですか?
「(北海道)旭川学力テスト事件」のことはあとに回すとして、「伝習館高校事件」では、3名のバカ教師が「教科書をほとんど使用しない」偏向教育を行ったために、処分された事件ですよね。そして、処分を不服として訴訟を起こした原告は、敗訴が確定したでしょう。なぜ、きちんと書かないんですか。

>日本教育学会元会長で、東京大学の堀尾輝久名誉教授(教育学法)は「都合のいいところだけを引用するから話がおかしくなる。指導要領の精神は先生や生徒の意見も入れて柔軟に運用することだったはずだ」と苦笑する。

出ましたな。得意の権威を振りかざした「珍論」が…(笑)。
都合のいいところだけを引用するのは、サヨクの必殺技ですよなぁ。
この件でも、日教組や全教が、見事にそれをやっているではないですか。

>堀尾氏は指導要領には君が代斉唱を強制する拘束力はないとみる立場だが、必修科目や単位数など教科の全国的な枠組みについては議論を重ねたうえ「大綱的基準としてきちんと定めることが必要」と考える。

君が代斉唱には反対して、教育内容を統一することは必要なんですか。
わけわかりませんなぁ。
見事に、都合のいいところだけを引用しています。
チンプンカンプンです。

>高校での教育内容を大きくはみ出した問題ばかりを出すから、今回のような必修漏れが起きた。

はぁ?
矢倉さん、あなた本当に教育ジャーナリストなんですか?
あくまで必修科目に則って、大学の受験内容は決められているはずですよ。だ・か・ら、必修漏れが問題になったんでしょ?
高校での教育内容を大きくはみ出した問題ばかりを出すから?
何のことですか。無茶苦茶に事実を捻じ曲げておりますなぁ。
もしかして、「アホ」ですか?

>ちなみに旭川学力テスト事件の判決文にはこう記されている。

それで? 確定した判決は?
学力テストは「合憲」だという結論が出て、またもや騒ぎを起こしたバカ教師どもの敗訴が確定しているでしょう。
都合が悪いから書けないんですか?

呆れますなぁ、東京新聞さん。

クサれ記事を書くな!


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2006.10.27 Fri
一休さん
本日の反日度指数:☆☆☆☆☆☆☆

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

唐突ですが、私が尊敬する人物のひとりに、一休宗純がいます。
一休は、後小松帝の妾腹として生まれ、室町の世を生きた禅僧(臨済宗)です。

私が一休と出会ったのは、今から14~5年前、とある図書館で休日を過ごしていたときのことでした。
日本の中世史に興味を持ち始めたばかりの私は、当然のごとく「日本史」の本が並ぶ書棚の前をウロウロしていました。そして、その中に水上勉氏の著書「一休」を見つけたのです。その場でパラパラと捲って、面白そうだったので借りて帰りました。
それからです。一休に嵌ってしまったのは…。

一休といえば「とんちの一休さん」というイメージが強いですが、調べてみると、それは江戸時代に流行した「一休頓智噺」がベースになったもので、まぁ、現代でいう「水戸黄門」のようなフィクションだということがわかります。
頭が良いことは間違いないですが、一休が歴史に名を残した理由は、晩年に「森女」という盲目の若い女性と愛欲に耽るさまを、著書に綴って後世に残したからだと思われます。その代表作として、「狂雲集」という漢詩集があります。

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

一休が仏門に入ったのは、わずか六歳のときです。
妾腹とはいえ、本来であれば親王として御所で育ってもおかしくはありませんでした。なにしろ、後小松帝の第一子ですから…。
ところが不幸なことに、一休の母は南朝の高官を務めた公卿の家の娘でした。後小松帝は北朝系の帝です。そのため、帝の寵愛を受けていると知った他の女官から、一休の母は後小松帝の命を狙っていると讒言され、宮中を追われたのでした。そして、嵯峨野の民家を借りて身を潜め、ひっそりと一休を出産しました。
ですから、幼くして一休が仏門に預けられたわけは、息子が政治利用されることを避けるための、母の苦渋の決断であったといえます。

少年僧のころの一休は、とても純粋で聡明な神童であったと伝えられています。
たとえば、こんなエピソードがあります。
周建と名乗り、建仁寺で修行していた16歳のころのことです。

一休が、庫裏の掃除をしていたときに、兄弟子たちの話し声が聞こえてきました。耳を澄ませてみると、兄弟子たちは自分の家柄の自慢をしていたそうです。
事実、中世の仏門では、家柄で出世が決まるという悪い風習があったようです。
そのことに憤っていた一休(周建)は、自室に駆け込んで、次の漢詩をしたためました。

説法説禅挙姓名 (法を説き、禅を説いて姓名を挙ぐ)
辱人一句聴呑声 (人を辱かしむるの一句聴いて声を呑む)
問答若不識起倒 (問答もし起倒を識らずんば)
修羅勝負長無明 (修羅の勝負、無明を長ぜん)

(おしょう訳文)
仏法や禅を説く者が、やれ自分は源氏出だ藤原氏出だのと、つまらぬことを言うておる。
恥ずかしくはないのだろうか、まったく呆れるばかりである。
仏門に入った者ならば、誰もがもう釈迦の弟子で平等のはずである。どんな問答をやったって、ものの道理を識(し)らなければ話になるまい。暗い闇の中で、修羅の勝負がいつまでも続くばかりであろうよ。

恐ろしい少年僧が現れたと、周囲の者を驚かせ、兄弟子たちを慄かせたことはいうまでもありません。
五山十刹のひとつである建仁寺も、このように見事な腐敗ぶりを呈していたのです。
因みに、五山十刹とは臨済宗の大寺で、幕府の庇護を受けた「官寺」のことをいいます。

そのためか、一休は17歳になると都の大寺に見切りをつけ、西金庵というみすぼらしい庵で、ひとり暮らしていた謙翁(けんおう)禅師の弟子となります。
謙翁は妙心寺の出で、師匠から印可状を渡されそうになったとき、「そんなものはいらん」と言って寺を出たそうで、無欲の人だったようです。(妙心寺も五山十刹のひとつです)
本来、印可状といえばいわば免許皆伝の証で、法燈を受け継ぐ資格を師匠から与えられたということですから、たいへん、名誉なものです。
それを断ったわけですから、謙翁という人は、とても変わり者だったのですね。
まぁ、だからこそ、一休は惹かれたのでしょうが…。

しかし、師ひとり弟子ひとりの修行生活は、それほど長くは続きませんでした。
謙翁が病に倒れ、ついには他界してしまったのです。一休が、21歳のときでした。

純粋すぎるほど純粋だった一休は、哀しみに堪え切れず自殺を図ります。川に身を投げたのです。ところが、通りかかった人に救出され、一命をとりとめました。
そして、暫く母のもとで心の傷を癒し、ふたたび修行の道へと進みます。
琵琶湖のほとりで小さな道場を開いていた、華叟(けそう)禅師の弟子となったのです。

華叟も変わり者でした。大徳寺で印可を賜っていたにも関わらず、謙翁と同じように寺を飛び出して、数人の弟子を集めて道場暮らしをしていたわけですから…。

厳しい修行を重ねていた一休が、師匠である華叟に、はじめて認められたのは25歳のころのことだと伝えられています。
諸説ありますので、そのときのエピソードはあえて省略しますが、そのころの心境を、一休は一首の道歌にして残しております。

有漏路より 無漏路へ帰る ひとやすみ
雨ふらばふれ 風ふかばふけ

「漏」とは「煩悩」のことです。したがって、有漏路(うろじ)とは迷いがある状態で、無漏路(むろじ)とは悟った状態を指します。

(おしょう訳)
わたしは今、迷いの世界から悟りの世界へと向かう途中で「一休み」している。雨が降っても風が吹いても構うもんか。

無論、「一休」という号は、この歌に因んで師に授けられたことはいうまでもありません。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

師の華叟が病気で他界したのは、一休が35歳のときです。
その直後、一休は行方不明になります。
私は、それこそ血眼になって色々な文献を漁りましたが、一休の35歳から40歳前後のことは、どんな文献にも書いてありません。「不明」なのです。もちろん、憶測を述べる人たちはいますが…。

39歳~41歳のころ(諸説あります)、一休は突如として泉南(堺)に現れます。
そのときの一休の姿は、いがぐり頭に無精ひげ、薄汚れた墨染めの袈裟を着て、肩には朱塗りの木剣を担いでいたそうです。そしてなんと、幼児(男の子)を連れていました。実子であったようです。
現代の坊さまは、当たり前のように妻帯しておりますが、元来、仏門では妻帯はおろか、女犯も戒律で固く禁じられております。ひとつだけ例外を挙げれば「浄土真宗(当時は一向宗)」は女犯OK、妻帯OKですが、それはあくまで例外です。
禅林の僧である一休は、空白の数年を経て、見事に「不良坊主」として姿を現したのです。
いったい、空白の数年の間に、一休はどういう体験をしたのでしょうか。
それを考えると、私は夜も眠れなくなりました。

例えていえば、とても真面目で親や先生のいうことも素直に聞き、優秀な成績で一流高校に進学したA子が、一年生の夏休みを終えて登校すると、「金髪のくるくるパーマ」で「耳には大きなピアス」をして、「けばけばしい厚化粧」で現れた…。
このくらい、前後のギャップがある、といっても過言ではないでしょう。

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

晩年の一休の交友関係を探りますと、非常に興味深い人物の名が浮かび上がります。
ひとりは、本願寺の蓮如。そして、もうひとりは、能役者の金春禅竹です。

蓮如といえば、親鸞の子孫であり、一向宗(浄土真宗)を、一躍、巨大教団に育て上げた怪僧です。そして、金春禅竹は、今でも残る「金春座」の中興の祖で、世阿弥の女婿でもあった人物です。
実際、能の謡曲である「江口」と「山姥」は、一休の作という説もあります。

これらの史実もふまえ、恐れ多くも私は、今年の初めに一休を主人公にした長編小説を書きあげました。
その内容は、「空白の数年間、一休はどこで何をやっていたか」という私なりの仮説です。
一休に出会い、実に14~5年をかけて研究してきた結果、書くことができたものでした。
ところが残念ながら、某大手出版社の新人賞に投稿したところ、見事に「ボツ原」と相成りました(トホホっ…)。

よって、たいへん長々となりましたが、苦労して書き上げた小説が「ボツ原」となった悔し紛れに、発作的にエントリーしたのが今回の記事です。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

私が特に気に入っている、一休の道歌をいくつか紹介します。

わけのぼる ふもとの道は多けれど 同じ高嶺の 月をながむる

年ごとに 咲けき吉野の山桜 樹を割りてみよ 花のありかを

くもりなき ひとつの月をもちながら 浮世の雲に 迷いぬるかな
(注:雲は「やみ」と読みます)

人の世は 食ふて稼ひでねて起きて さてそのあとは 死ぬるばかりぞ

生まるれば 死ぬるばかりぞおしなべて 釈迦も達磨も 猫も杓子も

※ 一見、一休は人の一生を非常にドライに詠っているようですが、私はそうは思いません。
貴賎、卑賤を問わず、人の命は等しく尊いのだ…。
そう、訴えているように思えるのです。

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

ちなみに、私のHNである「おしょう」は、一休禅師とは何ら関係ありません。
高校時代の後輩の一部が、私のことを「おしょう先輩」と呼んでいたことに因んだものです。恥ずかしながら、そのころから私は、能書きを垂れ流していたようです(苦笑)。

以上、ご拝読賜り、ありがとうございました(礼)。


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